UsuaL
2026/06/11[Thu]
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2011/05/09[Mon]
なんかねー、1年って早いよね!
次に更新するのも1年後だったりして。わお!んでもって次にこのブログを見たときに自分、成長したなーと思えたら、それはそれですばらしい。日記ていうより年記だけどね!
いまのわたしの状況はというと。
うっかり卓球部の主将になりました。なかなか人間関係ってむずかしいなーと絶賛おなやみちゅう。しょうじきいうと部活のメンバーに興味がもてないとか、後輩がついてこないとか、同期と距離があるとか、人間関係の問題が山積してて、いろいろ自分自身のメンタル面がまず未熟なんだなっていうのをストレートに突きつけられますね。小中高とおしてひきこもりがちで小さな世界の中に住んでいた自分にとってやっぱり「他人のために尽くす」ていうのはなかなかむずかしいんですね。
大学に入って環境ががらりと変わって、いい人間関係にめぐまれたというのもあって、萎縮しがちだった自分をすこしずつまわりにアピールできるようになった。というかまわりの人たちが他人の意見を尊重できるすごくできた人たちばかりだったんですね。そういうこともあって、自分の意見を相手に伝えられるようにようやくなった。これはわたしにとってはすごい進歩だった。ただ、そこでちょっと勘違いして天狗になってしまったのです。わたしはみんなに認められる、価値ある人間なんだー!って。自分が相手に何かを与えることなく相手からいろんなものを受け取っていたというのにね。
そして入学して1年が過ぎてわたしは2年生になり、部活では後輩ができた。先輩たちが引退していった。まわりの環境は刻々と変化していきました。幹部交代があって、人数の少ないうちの部ではわたしが主将になるよりほかなかった。でも交代直後はのんきなもので、まあなんとかなるでしょう!みんなついてきてくれるはず!っていう根拠ない自信にあふれていたのです。あいかわらずわたしはちょっぴり天狗さんで、で、人を動かす立場になった。
とりあえず相手がなにを考えてるのかっていうのを考えず、がんがん自分の意見をとおそうとしてしまった。いろいろ失敗もして、みんなの気持ちはだんだん離れていった。みんなのために一生懸命がんばってるのになんでみんなはわたしのこと認めてくれないのって、一方的に自分の考えや価値観をおしつけては相手のことを理解しようっていうのがすっぽり抜けていて、ほんとうに悪循環だった。そりゃあまあ空回りするわけです。
ただ、ここでよかったのは、わたしの悩みを聞いてくれて、味方になってくれて、客観的にアドバイスをくれる友達や先輩やOBさんがいたということ。以前のわたしは心のうちを打ち明けられる人がいなくて、というより「自分にはなんにも問題はありませんよ」って見栄はって悩んでたり苦しかったりを打ち明けることができなかった。素直じゃなかったのだな。いまも嫌なことためこんで苦しくなってっていうのはあるけど、ちょっとずつ、まわりのひとにさらけだせるようになってきた。で、ちょっとずつ、自分のダメなとこを認められるようになってきた。そうしたら最近になってようやく吹っ切れてきたような気がします。最初に言ったように問題は盛りだくさんなのだけどね。でも、そういう意味ではすごく進歩したぞ、わたし。
つぎは相手が何考えてるかをくみとって、相手のために行動できるようになったらもう一歩前進かな。部活も、逃げずにメンバーひとりひとりと向き合っていきたいです。あと4ヶ月ちょっとしかないのだ。ここからもうひとふんばりして後悔しないようにしたい。一歩ずつね。
やーもうちょっといろいろ書きたいんですが!またこんどにするよ。
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2011/05/09[Mon]
1年前の自分とくらべたら、ひとまわりは成長したのかな?
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2010/05/09[Sun]
死について
2010/01/19[Tue]
絵日記とか描けるんだ!すげー!!トラックパッドむずかし!
今日はひっさしぶりに部活に出ました。冬休み前に納会があって、それ以降今年に入ってからはなんか忙しかったり生理ひどかったりで一回も参加できなかったから、丸一ヶ月卓球ていうかむしろ運動じたいほぼやってないという計算
どうりで普段は軽くこなす基礎打ちで動悸・息切れ・めまいはするわカットで足つるわで残念すぎるのもうなずける。ここ最近の体の不調もすんなり納得。すべては運動不足が原因か!なんかもうラケットの振り方とか完全に忘れてました。フットワークも重過ぎ。日頃から体を動かすことの大切さを痛感した一日でした。明日からがんばろ
ところで、過去の自分と現在の自分(って書いてる間に過去の自分になっちゃうんだけどね!”いま”って刹那すぎる)は同一なのか?というのが最近の疑問です。話変わりすぎですね(^o^)
体の細胞はどんどん死んで入れ替わって、物質としては私はつねに変化し続ける。過去と今現在の私の結びつけて同一たらしめるものは自分の記憶しかないわけですが、生きてる以上、この記憶を再生する脳じたいも変化するわけだから記憶ですら確実なものとは言えない気がする。確証がないからと言って過去の自分をまったくの他人として考えるのもなんかちがう。
このからだ、こころの連続性、有機性、変化の過程そのものが私であるということ??
真実を教えるのではなく、相手自身にさとらせるってすごいことですよね!自分でさとるということ、それこそがほんとうに”知る”ということ。そんな先生どっかにいないかなー
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